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生と死を考える“生き直し”ワークショップ参加者(29歳女性)

 

生と死を考える“生き直し”ワークショップ

生と死を考える”生き直し”ワークショップに参加して

平成24年10月25日(木)、26日(金) 岐阜県関市大禅寺にて行われた「生と死を考える”生き直し”ワークショップ」に参加させて頂きました。

当初、「ワークショップに参加したい」という気持ちが強く、内容は把握しておらず、タイトルや内容を聞いて感じた事は「どうしよう」という気持ちでした。
直前まで精神科に入院し、「生きる」と決めて退院してきた私に取り組めるテーマなのか、自分で決めた入院中の気持ちが揺るがないか、と不安になりました。
不安を感じる中、参加すると決意したのは、自分にとって必要なテーマだと感じたからです。

最初のワークは「チベット 死者の書」の観賞でした。
死体等が出て来たからか、途中でしんどくなってしまい、見れず、また私には難しい言葉も多く、なかなか頭には入ってきませんでした。
その中で印象に残った言葉は「死んでも聴覚は残っている」という事。
私はあと30分、発見してもらうのが遅かったら命が助かっていたか解らない状態でした。
助けてくださった方が心臓マッサージをし、言葉を掛け続けてくれていたのですが、私ははっきりと意識が戻る前に、誰かは理解できない状態で、私を呼んでる声が聞え、そして肩を叩いてくださっている感覚の後、目が開きました。
自分の体験から、「死んでも聴覚は残る」というのは本当なんだと思い、意識がない方や亡くなられた方へ言葉を掛けるのは大切なことだと思いました。

次にファシリテーターの方から死の宣告を受け、残り3ヶ月、1週間と残された時間をどう使うか、という事を考えるワークでした。
自分に残された時間を与えてもらう事で「死」を迎えるまでにどう過したいか、どんな準備が出来るのかをじっくりと考える事が出来ました。
私は今年で29歳です。それぞれの人の立場や環境があると思いますが、この年齢だと、体力もあり、やりたい事もたくさんあるかもしれません。そんな中、「死の宣告」を受けると絶望し、「自殺」という手段を選んでしまうかもしれません。ワークをしながら「寿命」と「自殺」はどう違うのかを考えました。
私が思う事は、「寿命」だと(今回の様に宣告を受けている場合は特に)自分が死ぬまでにどういう事をしたら良いのかを考え、自分の心の準備はもちろん、周囲の方の事も考えられる。だから、残された時間を精一杯過そうと目標を立てる事が出来るし、目標を立てる事で周囲の方も心の準備が出来ると思います。余命1週間ともなれば、自分も周囲の方も覚悟が出来ているだろうし、準備をしている事で、私が死んだ後、周囲の方が私の目標を引きついでくれ、私が亡くなった悲しみから立ち直るのも早いのではないか、と思います。
でも「自殺」の場合だと自分で自分の事を追い込んでしまっているので、周囲の方はなぜ相手が「自殺」という手段を選んだのか、理解出来ないと思います。
実際に私が自殺を図った時を振り返ってみると、自分がどんな思いを抱えていたか話せず、「自分は何も出来ないからいらない」「何も出来ないのなら生きる意味が無い」と追い込み、「もうダメです」というメールを送った後、連絡を取れない様にして、遺書なども残しませんでした。
そして助けて頂いた時に思った事は「また死ねなかった」「なんで助けられたの?」です。
今、考えると恐い事だと思います。
命を助けて頂いたのに、その事を責め、生きている事を責めて、気持ちが落ち着くまでずっと責めていました。
周囲の方の気持ち等、全く考えず、自分の事しか考えていませんでした。
なぜ自殺を選んだのか、気持ちを伝える物は何も無かったので、周囲の方は驚かれたと思うし、あのまま私が助かっていなければ、どんな思いをしていたんだろう、と想像もつきません。
ただ「自殺をさせてしまった」と後悔ばかりが残るのではないかと思います。
「寿命」だと、自分の事だけでなく、周囲の方の事も考えられる。
「自殺」だと自分の事しか考えていない。
私が考える「寿命」と「自殺」の大きな違いです。
そしてワークを受けていた方が教えて下さった事。
「余命宣告を受けてからどうするか、考えた事は今からでも出来る」という事です。
その言葉を聞いて、「寿命」までの準備は余命を知ってから取り組むのではなく、普段から心懸け、毎日を大切に過したいと思いました。

夜の四十九日体験では、ろうそく一本の明りだけで山から本堂まで帰る(ろうそくの明かりを魂に見立てて、本堂までの道のりが四十九日の最中)という内容でした。
行きは歩きながら、すんなり帰れるだろうと考えていました。2番目に出発という事もあって前の人についていけば何とかなる、とも思っていました。
ですが、実際はろうそくの明かり が目に入ると周囲が全く見えなくなり、その怖さで「出来ない!」と叫んでしまう程でした。
あらかじめ、出発点には大きなろうそくが立てられており、「引き返しても良い」となっていましたが、引き返す事も出来ず、何も見えない怖さからパニックを起こしかけてしまいました。
私の様子を見守ってくださっていた方が「あとから行く人がいるから、怖かったら止ってていいよ」と言葉を掛けてくださった事、私の次に来た方が助けてくださり、怖さを感じない様に話しながら本堂まで一緒に帰ってくださったので無事に帰れました。
本堂で菩薩様の役のファシリテーターの方の顔を見ると、すごく安心しました。
本来の魂だけなら、話す事は出来ないかもしれません。でも、私は極楽へ辿り着くその時まで、1人では出来ない、誰かに助けてもらわないといけないんだろう、と感じました。

ワークを振り返り、「生れ変わった自分」を見つめてみました。
その中で、私が感じた事は 一人じゃない、という事。
周囲の方たちに支えられて今の自分がいるんだと思います。
そして自殺未遂なんて事はもうしてはいけない事。
毎日を過ごす中、まだ出来ない事も多く、同じ事を繰り返そうと考える自分もいる事は正直、怖いです。
でも、このワークを通して私が自殺未遂をした時に助けてくださった方々はどんな気持ちだったんだろう?という事と、自分が考え、出した答えがあるから、踏み留まる事が出来ています。
入院する事で出会った医師から「人は偶然で出会うんじゃない。縁があって出会う。縁があっての人との出会いは偶然じゃなく必然」 「いろんな偶然が重なって助かった命かもしれない。だけど、あなたが助かったのは偶然じゃない。必要とされてるから助かった」と言われました。
入院中はこの言葉はまだちゃんと理解する事が出来ませんでした。
ですが、このワークに参加して、新しい出会いがあり、お話させて頂いた事で、理解する事が出来た気がします。
「生きる」事は、私にとってはまだ辛くしんどく感じています。「生きるか死ぬか選びなさい」と問われると、悩むでしょう。でも、一人じゃないという事、周囲の方々に頼ってもいいという事を学びました。

これからもいろんな事があると思います。助けて頂いた命を大切にして、周囲の方々に助けて頂きながら、ゆっくり進んでいこうと思います。

ワークショップ参加者(29歳女性)