児童虐待、DV環境から、安全安心の生活を。 | 一般社団法人メッター

のりをさん

 

 私は都内在住の二十六歳です。十八歳の頃、精神的に憔悴している人たちの吐き出す場所を作りたいと思いmixiというSNSの中に「言えない心の傷」というコミュニティを設立しました。今城理事長とはコミュニティ経由で知り合う機会を得ました。

 私は虐待児です。
 毎晩のように酒に酔って暴れる父親と、子供を装飾品のように見ている母親の間でいつも顔色を窺いながら生きてきました。暴力もありましたし、心理的なコントロールも激烈なものでした。母親の気に入らない事をした日には食事がなかったり、六年生の頃に「一緒に死んで」とお願いされた事もありました。今、考えると母親も精神的な病を抱えていたのかもしれません。

 兄は二人おり、長男が学校で激しいイジメに遭い家庭内暴力を振るうようになりましたのでDVの被害者でもあります。
 身体的に最も耐え難かったものは兄からの暴力でした。骨も折れましたし、どれほど怪我をしたのか覚えていません。顔のアザが酷く、学校へ行けなかった日もありました。アザが薄くなった頃に登校したのですが「お化けみたい」と言われた事が記憶に残っています。今は体のどこにも目立つ傷はありませんが触れると妙に皮の厚い場所があったり、よく見ると分かる傷痕があります。頭に付けられた傷の場所には今も髪が生えておらず、坊主頭にするとすぐに分かってしまうので短髪にしたくありません。
 両親は兄からの暴力にあまり興味を示さず放置して、むしろ兄が受けているイジメの対応に終始していました。両親は兄の暴力を知らないものだとばかり思っていました。私への暴力は三年以上も継続し、その後の人生は非常に辛いものとなったのです。
 十八歳の頃にPTSDの治療を始めました。「暴力を受けている事に気付いていた」と成人した後に聞かされた時にはなぜか可笑しかったのを覚えています。
 こうした生育歴があった影響で精神的な苦しみと闘う人たちの支えになりたいと思い、コミュニティを設立したのです。これまでの約九年間で2008年から2011年までの最も参加者が多かった頃には今城理事長が管理人をされていました。管理だけ取ってみても私個人の力では到底及ばないものでした。

 PTSDから学んだ大きなものの一つが個人の力の限界です。闘病中に限らず、私の人生は本当に多くの人からの支えによって成り立ってきたのです。個人的な力や努力によってできる事の少なさに気付けた事は良かったと思っています。謙虚さを忘れてはいけないと、心底感じられるのは周りの素晴らしい仲間のお陰でした。いつでも話してくれて良いと言ってくれた先輩には最も助けられました。また別の先輩は寡黙な人なのですが「俺にはお前が必要だ」と何度も伝えてくれたのです。コミュニティの関係で初めて大阪へ行った時には今城理事長から「~すべき」と思ってもそうならない事はあるし、その度に修正していけば良いと教えて頂きました。何度も自分を見失った時に励まし続けてくれた二歳年上の友人もいます。私の人生はこうした本当に素晴らしい仲間や先輩との信頼関係によって支えられてきたのです。そうでなければ、今頃私はとっくに自殺していたと確信しています。
 私は家族に恵まれませんでしたが、仲間には誰よりも恵まれていると断言できます。裏を返せば、虐待児の人生とはこれほど強烈な幸運に恵まれなければ生きてさえいけない地獄なのだと言えるかもしれません。
 朝日を見ると一日の始まりを感じて死にたくなる。忙しく人が動いている時間に動けない自分を殺したくなる。夕方には一日なにもできなかった無力な自分を呪い、夜には二度と朝日を見たくないと震えるしかない。
 これは私だけでなく、虐待児の多くの人が感じるものだそうです。コミュニティを通じて学びました。声や物音、季節、気温や景色。ありとあらゆるものがフラッシュバックの引き金となるので少しの変化や刺激にも怯えるようになります。フラッシュバックが起きると何歳になっても被害を受けたその場へ強制的に引き戻され、同じ苦しみを再体験しなければなりません。違いがあるとすれば実際に怪我をしないだけです。心理的には耐え難い苦痛を味わいます。それが一日に何度も起きるのです。いつ来るか分からないフラッシュバックの恐怖は塗炭の苦しみとなります。
 そんな中で薬物の誘惑に負けてしまったり、性に溺れたり、自傷を繰り返す人の気持ちは痛いほど分かります。もちろん、自殺を実行する人の気持ちも。私自身も十歳の頃から数えるのが面倒になるほど未遂をしてきました。将来が壊れても、先が見えなくても、ただその瞬間さえ苦しみから逃げられるのであれば手段など選んでいる余裕がない、というところまで人を追い詰めるのが虐待です。

 たとえ私のような強力な幸運に恵まれても後遺症があります。症状からの回復は適切な治療と時間をかけて可能です。私も現在は元PTSD患者だと公言しています。しかし、苦しみから解放されたとしても多くの制限の中で虐待の傷と付き合いながら生きていくしかありません。記憶障害が顕著な例です。「いやされない傷―児童虐待と傷ついていく脳」という本の中でも、虐待を受けた人は脳の海馬に大きなダメージを負うという研究結果が報告されています。
 厚生労働省によれば2013年度の児童虐待の相談対応件数は約七万四千件であり、過去最高となった事が報告されています。実際に虐待が過去最高なのかどうなのか、それは分かりません。通報を含む相談件数ですので誤報ももちろんあるでしょう。しかし、検挙数も増加している事を考えれば、過去最高かどうかは断言できなくとも現状では非常に虐待が多いと言えます。私たちと同じ地獄へ落ちる子供が大勢いるのです。
 コミュニティを設立して以来、虐待を減らすにはどのようにすべきなのかを考えてきましたが、いまだに答えは出ていません。非常に多岐に渡る分野での改善が必要な事は確実です。今、私が断言できるのは支えは一つでも多い方が良いという事です。そして、大きな支えになれるものの一つが「人」だと思います。親からの非情な扱いに傷付いた子供は適切な治療と同時に人によって癒されなければなりません。治療は苦しみを取り除いてくれたとしても、人に対する信頼感を与えてくれるわけではないのです。人に対する信頼感や、自分の生きている世界に対する安心感がなければ恐怖や不安が巨大化し、いつか自殺を遂げるか著しい歪を抱えて生きるしかないと思います。「虐待を受けたからダメだ」から「虐待を受けたけど大丈夫」への変化を遂げさせてくれるのは人との信頼関係が強く影響しているように感じられます。信頼関係の構築は闘病期間はもちろん、社会復帰などを考える時にも不可欠な要素だと思います。
 虐待児は上記のようにあらゆるものに恐怖感を抱いています。最初から人を信頼しろ、と言われてもできるものではありません。しかし、信頼できる人を探す事を諦めないでもらいたいと思うのです。確かに私たちの生きてきた世界の中で人は醜悪な面を包み隠さず出してきました。信頼や安心とは映画や漫画だけのフィクションで、実際の世界は弱肉強食であり勝てば官軍の世界でしかありませんでした。謙虚さ、優しさは付けこまれるものであり弱さであり、腕力や経済力は家族の中の弱者を奴隷にする免罪符だったと思います。まさに親は神であり、生殺与奪は親のさじ加減一つだったのでしょう。

 そのような世界で生きてきた仲間に人を信頼しろ、と言う事がどれほど冷酷なものか理解しています。誰に対しても信用しようとはしないでください。いつか。いつかで良いので信頼できる人が見つかったら良いな、と思っていてもらいたいのです。孤独感は人を殺す威力を充分に持っています。私も素晴らしい仲間に恵まれていると気付く前に最も強く自殺を考えていました。信頼できる人はそれほど多くないでしょう。しかし、必ずいます。少なくとも話を聞き、寄り添ってくれる人はいるのです。
 信じる気持ちを持つ事は陰惨たる世界観からの脱出の第一歩となるでしょう。それは命を投げ出す勇気を出さなければ実行不可能な難しい事です。信頼関係の構築には生育歴を吐き出さなければならない場面が訪れます。隠しきれるほど小さなものではなく、無理やりに隠したとしても内面に関わる部分のほとんどは粉飾しなければならないからです。
 吐き出すには過去を思い出し、自分の人生がいかに惨めで報われない事の連続だったのかを痛感しなければなりません。これまで生きるためにしてきた必死の努力が水泡に帰す感覚もあるでしょう。ですので、虐待児の仲間には自分自身のタイミングで吐き出したり、頼る勇気を出してもらいたいのです。できる時に、できる範囲で構いません。できない時には「いつか」できたらいいな程度でも構わないと思います。
 信頼は相互の間に生まれるものであり、相手が一方的でも、自分が一方的でも成り立たないものだと感じています。繰り返しになりますが、頼れる人は必ずいますので虐待児の仲間にはタイミングを見つけてもらえれば、と思います。
 同時に、信頼関係の構築には虐待児側からの働きかけだけでは不足しています。聞く人の存在、寄り添う人の存在が不可欠です。
 私は一人でも多く、虐待児の話を聞いてくれる人が増えて欲しいと願っています。聞くだけでも辛いはずです。虐待児の口から出てくる言葉はあまりに陰惨で混沌としており、人はここまで悪辣になれるのかと疑いたくなるものばかりです。

 子供を愛さない親はいます。言葉にするのもためらわれる扱いをする親がいるのです。そうした扱いを受けた又は受けている子供がいるのです。
 フィクションに聞こえても不思議ではありません。そのような話を聞いた時、今まで自分自身が生きてきた安心できる世界観が破壊される恐怖を覚えるかもしれません。反射的に「きっと親はあなたのためを思って」や「そのお陰で今のあなたがある」と言いたくなるでしょう。虐待児が生きてきた世界と自分が生きてきた世界を分離させたくなる気持ちは分かります。違う世界の話だと思えれば、自分自身の世界の安心感は守られます。
 しかし、この時否定をせずにどうか話を聞いてもらいたいのです。虐待児が育った家庭と幸せな親子愛に包まれた家庭は同じ世界に共存しています。決してフィクションではないのです。聞いてくれるだけでどれほど虐待児の心が救われるのか、私は実感と共に理解できます。コミュニティでもそうした言葉を拝見します。
 共感できなくても構いません。話し手の気持ちが分からないというのは虐待児との関係だけでなくあらゆる人間関係に付き物だと思います。
 聞いてもらえさえしない。
 これが虐待児の直面している大きな壁の一つです。どうにか地獄から這い出ようとしても壁が自分の道を阻んでいます。高く、大きな壁です。安心できる世界への脱出は社会の一人一人によって創られた「世間体」や「風潮」という壁によって隙間なく閉ざされているのが現状だと言えます。世間体や風潮の中身は例えば「親は子供を無条件に愛するもの」というものです。
 壁に穴を開けてもらいたいのです。虐待児の話を聞くという姿勢が腕を入れられる程度の穴を開けてくれます。「そんな小さな穴で何ができる」と無駄に感じるかもしれませんが、その穴に腕を入れた時には虐待児と手を繋ぐ事ができます。虐待児に対して「あなたは一人ではない」と実感させる強烈なメッセージとなるのです。虐待児が医療機関へと繋がり、信頼できる人が増えた分だけ壁の穴は広がりいつか必ず虐待の世界から抜け出せるでしょう。最初のきっかけをどうか作ってもらいたいと願っています。壁の向こうから腕を伸ばしてください。きっと必死に握り返す手があるはずです。

 私はこれからもできる限り虐待児たちの支えになりたいと願っています。そして、一人でも多くの仲間が一緒に穴を広げてくれる事を望みます。
 具体的な方法として、虐待児について知ってもらう事が重要であると考えています。直接的な被害から免れた後に新たな地獄が始まるのです。私がPTSDを発症し、闘病期間に入ったのは直接的な被害を免れた五年以上も後でした。虐待の傷は深く、複雑です。それをご理解いただくだけでも心境と態度が虐待児に対して良い意味での慎重さを与えてくれると思います。虐待にまつわる話は多くの書籍が発売されていますし、もしご関心があれば私にご連絡をいただければ私自身に関する事柄のみお答えします。虐待にのみ焦点を当てたブログも始めましたので、そちらもお時間があればご覧ください。

http://ameblo.jp/noriwonoriwo123

 また虐待児を一人にさせないという事も非常に重要だと考えています。もしも、周囲で虐待児や虐待の傷と苦しむ人を見つけた時には医療機関への受診を勧めてください。いきなり医療機関へ、と言っても聞いてくれない人もいるでしょう。虐待児は自分が虐待を受けたと認めたがらない場合も少なくありません。そうした場合には私にご連絡をいただければ嬉しいです。面と向かって言えない事であっても、文字でなら話せるという人もいます。どのような形であれ人と繋がり一人にしない事が重要なのです。今、自分が抱えているものは耐えるべきではない苦痛だと気付くために、誰かの存在が不可欠だと確信しています。

 私の役割はパイプであると考えています。大げさに言えば虐待児の世界と社会を繋ぐパイプです。私は専門家ではありません。実際に処置できる知識も技術もありません。しかし、虐待児を専門家や他の世界観へと繋ぐには良い育ちをしたと思っています。虐待という傷と闘った過去がありますので、私は虐待児と健康な人のハーフのような状態です。虐待児のいる世界と元気な人がいる世界の境界線に立ち、道案内をできる場所にいると思うのです。虐待を受けたと告白された時どうしたら良いのか分からない、何と言葉を掛ければ良いのか分からないという人も少なからずいるでしょう。僅かではありますが、私が掛けられる言葉があると、参加者の反応を拝見し僭越ながら実感しています。
 私の果たせる役目は虐待児を一人にさせず医療機関などへ繋ぐ事だけです。理想を言えば、私が信頼のできる人へと繋ぎたいと思っています。医療機関などでも不遇の扱いを受けた、という話はコミュニティでも散見されます。このような事を起こさないためには信頼のできる技術なり知識なりを持った人と私自身が繋がらなければなりません。
 不幸中の幸いですが、コミュニティの参加者はある程度多いが故に人目に付きやすい状態です。虐待児との繋がりを持ちやすいとも言えます。メッターへと縁のある参加者を案内できればパイプとしての私も大いに安心できます。言えない心の傷はあくまでもネット上の交流が限界です。私とリアルで繋がったとしても結果から言えば話を聞くだけであり現状を変える力はありません。虐待児は何かしら現状を変える必要があるのです。そうでなければ命の危険さえある場合も少なくありません。私の下へ相談に来た虐待児を含め、多くの虐待児の現状を変える団体としてメッターに大きな希望を感じています。ファミリーホームの開設を目標として掲げておられるからです。ファミリーホームができたとすれば集まった虐待児たちの中からは闘病を終え、その時苦しんでいる虐待児の支えとなれる人も出て来るでしょう。そうなった時、回復を果たした元虐待児の姿が今を苦しむ虐待児の道標となります。「生きていれば回復できるんだよ」と強く訴えられるのです。これほど心強い支えはありません。言葉だけでなく後ろ姿で虐待児を勇気付けられます。回復を目指す虐待児の宿り木としてメッターが活躍してくれる事を願っています。

 メッターが目指しているファミリーホームの開設は親子の分離も意味します。それも現状を変える大きな力となるでしょう。親子の分離については様々な意見があって然るべきだと思います。どのような親であっても親は親。鬼畜のように振舞う親でも世界でたった一人しかいない、掛け替えのない存在なのです。多くの虐待児は親と離れる事を嫌う場合が多く、年齢が低ければ低いほどその傾向が強くなります。親子の分離は著しい傷痕を子供に残す可能性が充分に考えられます。将来に対しても良い影響だけを残すわけではないかもしれません。
 たとえそうであったとしても、私は虐待児と親の分離はなされるべきだと考えています。私は虐待児を含む参加者と関わる中で「より良いものを選ぶ」という発想を持った事が多くないのです。私は「最悪の事態を避けるためにどうするか」という発想を基軸にしています。虐待児との関わりはそれほど絶望的なのです。たとえ親子の分離によって子供の心に著しい傷が付いたとしても、殺されるよりは良い選択だと言えるのではないでしょうか。実際に親の手に掛からなくてもいつか精神が憔悴し、自らの命を絶つ事も充分考えられます。傷が致命的にならないうちに分離をしなければなりません。

 生きていたとしてもその後の苦しみは筆舌に尽くしがたいものがあります。批判される事を覚悟で書きますが、私はコミュニティの書き込みを拝見している中で何度も「もう充分だ、死なせてやって欲しい」と思った事があります。私は自殺を否定するつもりはありません。とてつもなく悲しい出来事であり、叶うのならば誰一人として自殺をして欲しくなどありません。私の周りでは自殺を遂げた人が数人いるのです。一番若い人は十三歳の同級生でした。一人一人を思い出した時、私が彼らの苦しみを肩代わりできない以上は自殺を否定できない、彼らの苦渋の決断を受け入れるしかないという思いがどうしても拭えないままなのです。
 自殺を否定はできませんが自殺を推奨する事もできません。叶う事なら生きていてもらいたい。絶望的な現状であっても生きていれば変わるかもしれません。苦しむためだけに生まれる命はあってはなりません。これまで苦しみ続けてきたのなら、せめてこれからの人生の中でいつか薬に頼らずゆっくりと眠る幸福や、緊張から解放された穏やかな会話を味わってもらいたいと強く願います。そのためにも回復を目指さなければなりません。闘病期間を縮めるために直接的な被害からはできるだけ早い段階で切り離すべきです。この観点からも親子の分離は必要だと言えるのではないかと考えています。

 最後になりますが、私は一人でも多くの虐待児が救われる事を願ってやみません。虐待を根絶したいという気持ちはありますが、人の心の中には良い部分と悪い部分があると紀元前六世紀、古代ペルシアがあった時代から言われ続けている事です。虐待の根絶を理想として掲げたいという思いはありますが、いつの時代も現実は辛く厳しいものなのだと思います。残念ながら理想通りにはいかないでしょう。虐待に限らず人生の中には辛い出来事が多くあるものだと思います。しかし、どれだけ辛い事があろうとも「きっと大丈夫」だと思える何かがあれば絶望に飲み込まれず一縷の希望を見出せるのではないでしょうか。虐待児にとってその何かとなれるのは医療機関、専門家だけでなく聞いてくれる人の存在、専門家以外の信頼できる近しい存在なのです。繰り返しになりますが、まずは虐待がどのようなものなのかについてご理解を賜りたいのです。書籍などでも充分な情報が記載されていますし、生の声が良いという場合であれば私がいくらでもお話します。一人でも多くの虐待児を救うためには一人でも多くの仲間が必要なのです。